『グローバライズ』 木下 古栗 騙された..読書感想 

 アメトーク「読書芸人」でも紹介され、話題を呼んだ

 

『グローバライズ』 木下 古栗(きのした ふるくり) 河出書房新社 2016

   

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 まず最初に一言、俺はこの小説が好きだ。

 しかしこれは、ゴールデンタイムのバラエティ番組で芸能人によりおすすめされるべき本ではない笑

 確か番組では、「全部読んだ後に衝撃が走る。記憶を消してもう一度読みたい」

というようなことを光浦靖子が言っていたが、とても危ない発言笑

 

 20代前半の知人女性(普段は読書しない、道を子犬が歩いていれば、きゃわい~と言って触りに行くような、ごく普通の女の子)が、少しは読書をしなければと思っていた時にこの番組を見て、俺に

 「私、ドン伝返しとか、物語の最後で衝撃を受けるみたいな話が好きなの。グローバライズ読んでみようかなぁ」とのたまっていた。

 きっと『イニシエーション・ラブ』的なものを想定していたのだろう..

 俺は木下古栗という作家を知らなかったし、ドン伝返しは好きなので、本屋でこの本を見かけて「そうだ、読んであの子に貸してあげよう」と思って購入に至った..

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 うん、貸せるはずがなかろうも。

 

 もし俺が読まずにあの子の気を引くために嘘をついて

 「あ~あの本ねー、読んだけど面白かったよー、○○ちゃんにも合うと思う。今度

 貸してあげるね~」

なんて言っていらと思うと、背筋を鋭利な刃物で肩甲骨にそって皮を削ぎ落とされるような、冷たく鋭い痛みが走る。

 

 俺がたまたま、「自分がちゃんと読んだ後じゃないと人には勧められない」という慎重かつ親切、責任感ある真摯な紳士であったから良かったようなものの、テレビ番組で紹介されていたからと安心して知人、恋人に勧めてしまう暗愚な人間もいるだろう。

 それはちょっとした事件である。

 紹介したその人の歪んだ性癖を邪推され、「なんでこの本を私に勧めてきたの」という疑心暗鬼を生み、次顔を合わせた時には雨に濡れそぼった路肩の犬のクソでも見るような淀んだ目で見られること必至である。かわいそうに

 

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 それはさておき、内容について

 この小説は短編集であるが、番組を見て知人が思っていたような「それぞれの話がリンクしていて、読了した後に全てが繋がり衝撃を受ける」というようなものでは、断じてない。

 確かに話によって若干リンクさせている部分もあるが、物語の本筋での関連性は無く、独立した短編集と捉えていい(一読しただけでは分からない緻密なトリックが仕掛けられており、俺が気づかないだけという可能性もあるかも、そん時は教えて)。

 各物語に共通する特徴は「サイコパシーなエログロ」という感じ。

 読んでいるうちに、だんだん登場人物の言動が不穏な方向に傾きだし(主に性の方向)、やがて変態性が発露、最後まで突き抜けていき最後の数行で読者を突き放す、という感じ。

 その、引き込まれた後での突き離しが際立っていて、特に印象深いのは

    「反戦の日」と「道」

 最後の言葉の猛勢がやばく、一文一文に惹きつけられ、アドレナリンが噴出していく快感が得られた。

 最後の一行を読んだ後はまさしく、オーガズム後の虚脱感。

 愛あるセックスの後のような昂揚感と充足感の得られる読書体験ができた。

 

 だけどやっぱり、あの娘におすすめしなくて良かったなぁと、改めてそう思いました。。

 

 

 

西 加奈子『舞台』

書店であらすじを見て、自分に通じるものを感じて即買いした小説

 

西 加奈子『舞台』

 
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人間失格』の主人公「葉蔵」を自分自身のように感じる自意識過剰な29歳の青年「葉太」。

    忌み嫌っていた父親が病気で死に、父親が遺した金で、ある一冊の小説「舞台」をセントラルパークの芝生に寝転びながら読みたいというたった一つの欲求に従い、ニューヨークに旅行に行く。

    初日から所持金、パスポート、スーツケースの鍵など、必要なもの全てが入ったバッグを盗難されてしまう。

    残されたのは、幾ばくかのお金と、小説「舞台」のみ。

    それでもなお、「旅行初日から浮かれてバッグを盗まれる間抜けな観光客」というレッテルを貼られてしまうのではと、人の目を気にして周囲に助けを求めるなどの起こすべき行動を取れないでいる。

    そんな社会不適応な程の自意識過剰な葉太だが、飲むや食われずという危機的な状況下で徐々に自意識の殻が剥がれいく。

    終盤ではワールドトレードセンターの爆心地、グラウンドゼロの地に立つことで

            作為のない、リアルな悲劇

を肌で感じ、

            自分が演じている作為的な悲劇は、死

        という絶対的な終わりの前では滑稽な喜

        劇に過ぎない

と感じ、弱さを抱えながらも、純粋に生きたいと願うようになる。

 

誰もが皆、この世界という舞台で、それぞれの役割を演じている。そのことに少なからず、疲弊している。だが、やめることは出来ない。舞台は続いてゆくのだ。

                                                  劇中小説『舞台』

   

    強い自意識ゆえに、その舞台上で完璧な役者のように振る舞い続けた、同族嫌悪のように嫌っていた父親

    葉太はやがて、その父親、そしてありのままを見せられずに演じ続ける自分自身をも受け入れ始める。

 

    最後は、髭を生やしてボロボロの服というみっともない風体で、体裁もなくへるぷみーと周囲に助けを求め、やがて母親の助けを借りて帰国するという結末を迎える。

    かつての葉太なら舌を噛みきるレベルの恥辱の終幕だろうが、自分と向き合う旅を終えた今の葉太なら、自意識と上手く付き合いながら生きていけるだろう……。

   

    過剰な自意識というのはきっと現代人の多くが持つものだが、主人公のようにその度が超えた人間は普通に生きていくだけで常に心に擦過傷を負い続ける。

    そんな窮屈な生きにくさに、受け入れることで解放される心地よさをそっと教えてくれる小説。

国家の危機意識の低さに警鐘を鳴らす小説 村上龍 『半島を出よ』

 社会に対する問題意識とか、生存理由の希求とか、何か飢えを感じると村上龍の小説を読みたくなる。

 

 村上龍 『半島を出よ』上・下 幻冬舎文庫 2005

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 簡単なあらすじは

 

   福岡が北朝鮮に侵略され、国家の危機管理体制の低さや法整備の不備により政

  府は具体的な行動を取れず、ついには福岡を見捨て、切り捨ててしまう。

   対米従属の奴隷的な国家が何もできない中、アウトローの集団が立ち上がり、

  福岡奪還、北朝鮮軍壊滅に向けて立ち上がる

 

というようなもの。

 

 ページを開くとまず、登場人物や関係機関の小難しい名称が羅列されており、読むのに体力を使いそうだと危惧したが、読んでみると意外にスラスラ読めた。

 北朝鮮の兵隊にしても、日本のティーンネイジャーの犯罪集団にしても、思想と行動が極端にぶっとんでおり退屈しなかったのがその理由。

 福岡を占領した北朝鮮軍を打ち崩したのは、同盟国であるアメリカでも日本政府でもなく、

    奴隷とは対極の狩猟民のような生き方をする主人公たち

 村上龍の長編小説は、反骨精神や敵愾心、現状を打破しなければという焦燥のようなものを掻き立てられ刺激を受ける。

 著者は実際に、北朝鮮脱北者10数人から取材したというが、北朝鮮の国家体制、民心、風土についても垣間見えて面白い。

 著者の作品に対するストイックな姿勢は敬服に値する。

 しかし、徹底した取材や文献の漁読による、政治、軍事、重火器、危険生物など、各専門的な情報量・固有名詞があまりに多く詰め込まれており、咀嚼しきれず物語の消化不良を起こすという側面も否めない。

ウラジーミル・ナボコフ 『ロリータ』

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 「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」

 

 こんな軽妙な書き出しから始まるアメリカの古典文学。

 展開が次々と切り替わっていく疾走感のある物語ながらも、洒脱さ溢れるモノローグによって妙味を加えられた、飽きさせない小説。

 俗間に氾濫するロリコンなる、少女の幼さを性的に愛してやまない紳士に付される称号の由来となった小説でもある。

 日の出を見るまでに紆余曲折のあった、花咲く前の蕾に宿る妖精的魔力に魅せられた中年男の、破滅に至る物語。

 

―歪んだ性癖をお持ちのお兄さん方、

          この小説を読んで、

      ロリコンにとりつかれた男の哀愁溢れる末路を心に焼き付けましょう―

桜庭一樹 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』

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 実社会にコミットするため、生活に即した「実弾」を打ち続ける主人公の女の子。

 そんな主人公がある日出会った海野藻屑(うみのもくず)という女の子は、実弾が手元に無く、空想でできた砂糖菓子の弾丸をひたすらに打ち続ける。

 その弾はしかし、社会の歪な壁を打ち崩すだけの力を得ず、跳弾したお菓子の弾は、崩れて溶け堕ち、泡となって消える。

 読了後の余韻は痛切でいて、鉛色の海に、青空の青が少しだけ溶けだしたような不思議な感覚。

吉田修一 『怒り』

 パレードからの..

 

  吉田修一『怒り』

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 消化不良感が強い。

 時を同じくして違う場所に身分不詳の青年が現れる。

 それぞれがその青年と信頼関係を築いていくが、少しの綻びから、隣のこの人は手配中の殺人犯かもしれないという疑心暗鬼に変わっていく。

 サスペンスではあるが、推理小説ではなく、結末までの登場人物の心情の変化をなぞっていく感じ。

 結局タイトルの「怒り」が内包する意味や背景は掴めない。

 『パレード』を読んだ時に感じた、なんとなく不気味という感覚が著者の作品の持ち味なのかもしれないが。

 

..2016年9月に、森山未来宮崎あおいなど、豪華キャストで映画化されている..果たして映画で化けているかどうか...

行間に漂う不気味さ..吉田修一『パレード』

 なんなのだろう..この、読んでいるうちに胃の腑から静かな不気味さが滲み出してくる感覚は..

 

 『パレード』 吉田修一 幻冬舎文庫 2004 

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 適当に交ざって、飽きたらいつでも去れるような、チャットのような表層的な空間で共同生活をする若者達。

 心の内奥を晒すこともない、閉塞感漂う社会に適応した居心地の良い気怠い空間。

 何も無い社会だからこそ、何も無い空間に希釈された空気として溶け交ざる。

 しかしその中に、閉塞的な社会、世界からの解放を望んでいる異質な者が一人..

 自己と他人、内と社会との隔絶。

 ラストの展開は、彼らの無関心は、どこまで現代の病理を表出しているのだろうか。

 

 この作品は2010年に、藤原竜也 · 貫地谷しほり · 林遣都 などのキャストで、行定勲監督が映画化している。

 これがまた、原作の空気感がよく出されていて面白い。

 決して多くはない、原作小説の映画化が成功したなぁと思える作品の内の一つ。