新時代に取り残されないために・・ 『AI時代の人生戦略』 成毛眞

 iPhonの音声認識機能「Siri」に代表されるAI(人工知能

 プレイステーションVRの発売が耳新しいVR(仮想現実)

 ポケモンGOに使われた新技術AR(拡張現実)

 

など、新しい時代の到来を予感させる技術が現実化してきている。

2016年はVR元年と言われているが、指数関数的な技術の向上は、近いうちに、人工知能が人間の能力を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)に達するだろう。

 

 もはや「いやー、アナログ人間なもんでして」なんて言っていられない時代がすぐそこまで来ている。

 そこで、時代に取り残されないためにと読んだのが

 

 『AI時代の人生戦略』 成毛 眞 著 SB新書 2017

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 著者は、新しい時代に必須となる概念として、アメリカ国立科学財団(NSF)が提唱し、オバマ元大統領も使っていた「STEM」

    S=サイエンス(科学)

    T=テクノロジー(技術)

    E=エンジニアリング(工学)

    M=マセマスティクス(数学)

を紹介し、さらにこれに

    A=(アート)

を足した「STEMA」が重要になると説く。

 

 ここでいうアートとは、最新の技術を用いた現代アートのことをいい、その例として

アメリカのロックバンド「OKGo」のミュージックビデオを紹介している。

 

 まず、ドローンで撮影された映像を使った

   

「I Won't Let You Down」

 

 

 

や、無重力の航空機内で撮影された

 

「Upside Down & Inside Out」

 

 

などなど。 

 

 他にも、現代アートとして

    「perfume」 や 「BABYMETAL」

も紹介しているが、これはちょっと、著者が好きなだけなんじゃ。。と思ってしまう側面もあったり笑。。

 

 10~20年後には、今ある仕事の約半数がAIやロボットに取って代わられる時代が来ると言われている。

 著者は

 あくまでも、コンピュータによる技術的な代替可能性をベースとしており、実際に代替されるかどうかは、労働需給を含めた社会環境要因の影響も大きいと想定される。            (本書59ページより抜粋)

と前置きしつつも、無くなる仕事の例として、自動運転技術の普及により、全国に37万人いるタクシー運転手が必要なくなるだろうと述べている。

 それを現実化するには、いろいろな法的、技術的障壁を乗り越えなければならないだろう。

 しかし、自分の仕事は、将来的に存続していけるだろうかという危機感を持ち、先を見据える視点を持つことは必要かもしれない。

 また、AIなどが普及することで、新たな需要の創出、新たなサービス、つまり新たな職業が生まれるという可能性についても触れ、新技術に対するアンテナを持ち続けることの必要性を説く。

 

 その他、「残酷な10年後に備えて今すぐ読みたい本」と題し、おすすめ本紹介コーナーがあったり、新しいものを進んで採用し、宇宙航行技術の会社も立ち上げているホリエモンとの対談があったりと、読ませる構成になっている。

 

 著者が言及する、新しい技術の取り入れ方に対する人口比

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でいうと、自分は、平均よりも遅く流行を取り入れようとする

 レイトマジョリティ(34%)

に該当するだろうが、この目まぐるしい変遷の時代に乗り遅れないようにするために、少しは敏感にならないとなぁ、とそんな感想を持った読書体験だった。

 

 

  

自閉症をめぐる兄弟の絆のロードムービー 『レインマン』 

 自閉症の兄を演じるダスティン・ホフマンと、最初は遺産目当てで兄を施設から連れ出すが、彼に触れて少しずつ兄弟の絆を取り戻していく弟を演じるトム・クルーズというキャストで送られる、心温まるロードムービー

 

 レインマン 監督 バリー・レヴィンソン 1988

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 この映画を見て、昔確かに自分の中に芽生え、そのまま心の隅に放置していた大切な感情をすくいあげることができた。

 

 人間性とは何だろう

 脳の損傷や不備で、それまでのことやそれからの全てを忘却してしまうような脆弱な物だろうか。

 家族を失ったことがある。 最初は俺の名前を忘れ、顔を忘れ、終いには呼びかけても返事をせず、目も合わせなくなった。それでも、死ぬ最後のその瞬間、手を強く握りしめて感情的に呼びかけた俺の声に、握り返してくれた手の力強さと、その頬に流れた涙の尊さを忘れたくない

 

 そんなことを思い出させてくれた作品

 

 

西 加奈子『舞台』

書店であらすじを見て、自分に通じるものを感じて即買いした小説

 

西 加奈子『舞台』

 
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人間失格』の主人公「葉蔵」を自分自身のように感じる自意識過剰な29歳の青年「葉太」。

    忌み嫌っていた父親が病気で死に、父親が遺した金で、ある一冊の小説「舞台」をセントラルパークの芝生に寝転びながら読みたいというたった一つの欲求に従い、ニューヨークに旅行に行く。

    初日から所持金、パスポート、スーツケースの鍵など、必要なもの全てが入ったバッグを盗難されてしまう。

    残されたのは、幾ばくかのお金と、小説「舞台」のみ。

    それでもなお、「旅行初日から浮かれてバッグを盗まれる間抜けな観光客」というレッテルを貼られてしまうのではと、人の目を気にして周囲に助けを求めるなどの起こすべき行動を取れないでいる。

    そんな社会不適応な程の自意識過剰な葉太だが、飲むや食われずという危機的な状況下で徐々に自意識の殻が剥がれいく。

    終盤ではワールドトレードセンターの爆心地、グラウンドゼロの地に立つことで

            作為のない、リアルな悲劇

を肌で感じ、

            自分が演じている作為的な悲劇は、死

        という絶対的な終わりの前では滑稽な喜

        劇に過ぎない

と感じ、弱さを抱えながらも、純粋に生きたいと願うようになる。

 

誰もが皆、この世界という舞台で、それぞれの役割を演じている。そのことに少なからず、疲弊している。だが、やめることは出来ない。舞台は続いてゆくのだ。

                                                  劇中小説『舞台』

   

    強い自意識ゆえに、その舞台上で完璧な役者のように振る舞い続けた、同族嫌悪のように嫌っていた父親

    葉太はやがて、その父親、そしてありのままを見せられずに演じ続ける自分自身をも受け入れ始める。

 

    最後は、髭を生やしてボロボロの服というみっともない風体で、体裁もなくへるぷみーと周囲に助けを求め、やがて母親の助けを借りて帰国するという結末を迎える。

    かつての葉太なら舌を噛みきるレベルの恥辱の終幕だろうが、自分と向き合う旅を終えた今の葉太なら、自意識と上手く付き合いながら生きていけるだろう……。

   

    過剰な自意識というのはきっと現代人の多くが持つものだが、主人公のようにその度が超えた人間は普通に生きていくだけで常に心に擦過傷を負い続ける。

    そんな窮屈な生きにくさに、受け入れることで解放される心地よさをそっと教えてくれる小説。

国家の危機意識の低さに警鐘を鳴らす小説 村上龍 『半島を出よ』

 社会に対する問題意識とか、生存理由の希求とか、何か飢えを感じると村上龍の小説を読みたくなる。

 

 村上龍 『半島を出よ』上・下 幻冬舎文庫 2005

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 簡単なあらすじは

 

   福岡が北朝鮮に侵略され、国家の危機管理体制の低さや法整備の不備により政

  府は具体的な行動を取れず、ついには福岡を見捨て、切り捨ててしまう。

   対米従属の奴隷的な国家が何もできない中、アウトローの集団が立ち上がり、

  福岡奪還、北朝鮮軍壊滅に向けて立ち上がる

 

というようなもの。

 

 ページを開くとまず、登場人物や関係機関の小難しい名称が羅列されており、読むのに体力を使いそうだと危惧したが、読んでみると意外にスラスラ読めた。

 北朝鮮の兵隊にしても、日本のティーンネイジャーの犯罪集団にしても、思想と行動が極端にぶっとんでおり退屈しなかったのがその理由。

 福岡を占領した北朝鮮軍を打ち崩したのは、同盟国であるアメリカでも日本政府でもなく、

    奴隷とは対極の狩猟民のような生き方をする主人公たち

 村上龍の長編小説は、反骨精神や敵愾心、現状を打破しなければという焦燥のようなものを掻き立てられ刺激を受ける。

 著者は実際に、北朝鮮脱北者10数人から取材したというが、北朝鮮の国家体制、民心、風土についても垣間見えて面白い。

 著者の作品に対するストイックな姿勢は敬服に値する。

 しかし、徹底した取材や文献の漁読による、政治、軍事、重火器、危険生物など、各専門的な情報量・固有名詞があまりに多く詰め込まれており、咀嚼しきれず物語の消化不良を起こすという側面も否めない。

『THE WORLD IS MINE』 2巻

 2巻目に突入

  

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 表紙の女は、1巻で登場し、2巻目ではトシモンに加わろうとする女性、マリアちゃん。

 

 帯のコメントの一人は小説家 阿部和重

 これは、壮絶なまでに徹底した描写の追求によって「世界」の連続性を

描き出す、きわめて倫理的な作品である。

 

 ――テロ事件の犯人として身柄を捕らわれている爆破犯「トシ」を救出するため、

  警察署に対する大規模テロを敢行した超人「モン」。

   多くの警察官を殺しながらの救出劇は成功を遂げ、トシモン2人の逃避行から

  再開する、『TWIM』第2巻。

   寒さと疲労から意識を手放そうとするトシを背負い、青森県山中を進むモンで

  あったが、とうとう、神が生み出した悪魔の片割れ、体調12メートルの怪物

     ヒグマドン

  と邂逅する。

   圧倒的な存在を前に、トシはそれまで知らなかった「畏敬の念」を喚起され、

  自分を超越した暴力に初めて対峙したことで「痛み」を知り、それ以降人を殺す

  ことが出来なくなる。

   それまで依存してきた絶対的な存在が、良心や想像力という俗な観念に影響さ

  れ始めていることに不安と憤りを感じるトシであったが、既に引き返すことはで

  きない。

   自分を肯定するために、ネットに「殺人代行」のホームページを立ち上げ、世

  の中の悪意を浮き彫りにし、良心不在の社会を再確認する。

 

    ―ここで、爆破犯トシの母親に視点が変わり、極普通の主婦が息子の犯行を

     知り、世間に非難され、発狂し、自殺に至るまでのエピソードが挿入され

     る。

    ・・・この話が、またエグイ笑。

   「うちの子にかぎって」という信頼が、犯人顔写真のニュース報道により疑念

  に変わり、警察署に出頭させられ、証拠を提示されることで息子が大量殺人犯だ

  という事実を突き付けられる。

   事実を受け入れられずに、やがて発狂に至るまでの描写が、読んでいてただた

  だ苦しい。

   だがこのエピソードが、犯人側の家族を自殺に追いやる世間やメディアを描く

  ことで、一方だけの視点ではない、両方の立場に立つ想像力を掻き立てるという

  作用を生じさせることに成功している。

 

  話は戻り、世間では「殺人代行」のホームページに大量の殺人依頼が殺到したこ

 とが社会的問題となり、緊急番組が開かれる。

  そこに、1巻で登場したユニークなオッサン総理、由利勘平が再び登場し、テロ

 リズムに扇動される視聴者に対し

    想像力の欠如

 を問題提起する。

  話の内容こそ「想像力を持て」という普遍的なものだが、

   中指をカメラに向かって突き立て、死体の入った棺桶を蹴り上げる

 というクレイジーな方法が視聴者の関心を掻き立てる。

   想像力のない馬鹿どもは死刑だ

 というメッセージを受け取ったトシの

   神のみぞ知る、試そやないか

 のつぶやきで幕を閉じる第2巻。

 

  物語の展開は怒涛の1巻に比べて失速するが、個性的な登場人物も多く、相変わ

 らずの面白さ。

   仲間に加わろうとする女性マリアの存在もあり、今後どう物語が進展していくの

 か、わくわくである。

 

 

ウラジーミル・ナボコフ 『ロリータ』

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 「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」

 

 こんな軽妙な書き出しから始まるアメリカの古典文学。

 展開が次々と切り替わっていく疾走感のある物語ながらも、洒脱さ溢れるモノローグによって妙味を加えられた、飽きさせない小説。

 俗間に氾濫するロリコンなる、少女の幼さを性的に愛してやまない紳士に付される称号の由来となった小説でもある。

 日の出を見るまでに紆余曲折のあった、花咲く前の蕾に宿る妖精的魔力に魅せられた中年男の、破滅に至る物語。

 

―歪んだ性癖をお持ちのお兄さん方、

          この小説を読んで、

      ロリコンにとりつかれた男の哀愁溢れる末路を心に焼き付けましょう―

女性火葬技師の奮闘記 『SMOKE GETS IN YOUR EYES』

 現代人は「死」を忌み嫌い、自分たちの「生」からできるだけ遠ざけようとする。

   汚いものを見ないように、死から目をそらすように

 

 医療技術の発達に伴って現代人は、できるだけ長く生を繋ぎ止めようと必死になって、健康寿命を越えて認知症などの「生の綻び」が出てきてもなお、少しでも長く生きようと延命措置を取る。

 

 最近でこそ死を見据えて生きるという「終活」なる言葉が出てきたが、いつかは終わる命。「死」を見つめてこそ今の「生」が充実するということで、その気づきを得るために手に取りたいのがこの本、

 

    『SMOKE GETS IN YOUR EYES(邦題:煙が目にしみる)

                   ケイトリン・ドーティ 国書刊行会 2016

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 なぜかセクシーグラドルの「壇蜜」が帯に推薦コメントを寄せているが、「性」という生きることの本質が「死」と切り離せないこと、エロスとタナトス(死の本能)が不可分であることを示唆しているのかもしれない。。

 

 内容は、「葬儀社の火葬技師」という珍しい仕事を選んだロサンゼルス在中の23歳の女性が、葬儀社で務めた時の経験を、軽快でユーモラスに綴ったもの。

 

 悲しむ者に見送られるもの、身寄りがなく孤独死したもの、ゲイやホームレスなど、様々な境遇の死体を葬儀社が処理する。

 それぞれの人生に物語があり、その最後を演出するのが葬儀社の仕事。

 死体は生きる者の目から見ればひどくおぞましい。

 死体を自然に任せれば、

  ガスで膨れ上がり、皮膚はところどころに裂け目が出来て、体液が溢れだし、形が崩れ始め、青黒く変色し、蛆がわいて食い荒らされ、バラバラになり、やがて骨になって土に還る。

 この流れを仏教では「九想観」といい、順に、

  「脹相(ちょうそう)」「壊相(えそう」「血塗相(けちずそう)」「膿爛相(

  のうらんそう)」「青瘀相(しょうおそう)」「噉相(たんそう)」「散相(さ

  んそう」「骨相(こつそう)」「焼相(しょうそう)」

といって、その無常観をあるがままに受け入れていくという観念。

 しかし、現代人はそこまで悟れはしまい。

 できるだけ死の現実と向き合わないように、エンバーミング(防腐処置)を施し、不自然な死化粧をし、純白な死装束をつけて、生前の姿を再現しようとする。

 なにもそれは悪いことではない。潔癖な現代人がたどり着いた終焉の境地。

 しかし、それが単一的に形式化し、故人の意向を無視してしまえば、本当の意味での弔いにはならない。

 

 著者が作中で「火葬元年」と言及したように、1963年にローマ教皇パウロ6世がカトリック教会法の定めを覆し、火葬を認めるようになるまでは、欧米では土葬が当たり前であった。

 

 葬儀社に全てを任せ、高額な費用を支払い、不自然に飾り立てて火葬をする。

 それは時に故人の尊厳を奪ってしまうことになるかもしれない。

 

 葬儀社で働き、そんな違和感を覚えた著者は、

   土葬、火葬、直葬、自然葬など、複数の方法を提案し、故人の意向に沿った本当の意味での弔いを可能とする葬儀社を設立したいと考える。

 最初の葬儀社をやめて葬儀学校に通い葬儀ディレクターの資格を取り、複数の葬儀社に勤務した後に

   2015年に自身の会社<Undertaking LA>を設立した。

 

 そんな著者は、自身のブログ

    <The Order of the Good Death

で多彩な葬儀方法や、死に関する情報を提供し、さらには

    <Ask A Mortician>(葬儀屋さんに聞け)

というチャンネル名で、youtubeに関連動画をあげている。

 

 文章からもユーモラスな個性が読み取れるが、動画を見るとさらに、独特の不気味で強烈なオーラが感じ取れる 笑

 

 これからも、できるだけ死を遠ざけようとする現代人に、ラテン語

    メメント・モリ(死を想え)

ではないけれども、

 死ぬことを考えることは、よりよく生きることに繋がる

という気づきを与え続けていって欲しい、本作を読んでそのように思いました。