本物だなぁと思った漫画 『THE WORLD IS MINE』 新井英樹
漫画にもいろんなジャンルがあるが、
社会とか人間の本質を描いた、魂に響く漫画
というものがある。
俺の中ではこれ、
『THE WORLD IS MINE』 新井英樹
エンターブレイン 2006
辞典ほどの分厚さで、全5巻という大ボリューム
何年も前に一度読んで衝撃を受け、記憶が薄れてしまったので再読してみた。
まず1巻
この漫画、各界の著名人も絶賛しており、各巻の帯にはコメントが付されている。
1巻の帯の内容
「残酷さに震えてしまう。90年代に生まれた、素晴らしい文学の一つだと思
います。」
「ワールド・イズ・マインを知らない子供達へ。世界の残酷さの裏側を覗いて
みろ。「世界」という文字が透けてみえるような、素敵な場所がある。」
...岸田繁のコメントがすてき...
1巻を読み終え、1巻でここまでストーリーが進んだっけというくらい、怒涛の展開。
以下、ごく簡単なあらすじ。
ー世界に愛された、法やモラルを超越している超自然人の主人公「モンちゃん」
と
ネットで他者と繋がろうとし、爆弾の作り方を検索しちゃうような、今の時代にはどこにでもいそうな、だけど、ちょっとヤバめなオタクの「トシ」
この2人が出会うことで、表層的な平和を生きる社会に「テロリズム」がもたらされる。
さらに、隕石の落下の影響で北海道の南端に「ヒグマドン」なるヒグマの怪獣が現れ、ゴジラさながら海を渡って本州に上陸し、ひたすら暴れまわる。
この、モンちゃんとヒグマドンという最凶の「天災」と、爆弾魔となる「トシ」を生み出した社会の「人災」が、最悪な科学反応を起こし、平和な日常というやつをぶち壊していくー
突き詰めるようなリアルとカオスな破壊劇の混在
この物語はテロ実行犯の2人の視点を中心に語られるが、著者の取材による情報量が豊富で、警察組織、政治家、テロに巻き込まれるそれぞれの人間達が、それぞれの正義をもとに動く状況が
多面的に、本質を突くように、それでいて冷静な視点に立って
描かれる。
それがこの漫画をただの娯楽作品ではない、読者に思考を喚起させる「文学」に押し上げている。
序盤から早くも
殺して、犯して、爆破して、と無差別な犯罪が繰り広げられる
漫画だが、著者が巻頭インタビューでこの作品を「道徳の教科書」のつもりで描いたと言うように
社会の作り出した悪を徹底的に描くことで、人間の本質を浮き彫りにする
反面教材的な側面が強い
深いテーマ性を帯びた娯楽作品
となっているように感じる。
トシの、「命の値段」とか「世界平和」とかいう青臭い問題提起に対し
「命にはハナから価値は無く、世界平和というユートピアなど存在し得ない」
とザクリと記者会見で言っちゃうような、ユニークな総理大臣「由利勘平」など、この漫画はキャラが立っていて、飽きることがない。
これから物語がどう進んでいくか、薄れた記憶を辿りながら、ゆっくり咀嚼して読んでいこう。
吉田修一 『怒り』
パレードからの..
吉田修一『怒り』
消化不良感が強い。
時を同じくして違う場所に身分不詳の青年が現れる。
それぞれがその青年と信頼関係を築いていくが、少しの綻びから、隣のこの人は手配中の殺人犯かもしれないという疑心暗鬼に変わっていく。
サスペンスではあるが、推理小説ではなく、結末までの登場人物の心情の変化をなぞっていく感じ。
結局タイトルの「怒り」が内包する意味や背景は掴めない。
『パレード』を読んだ時に感じた、なんとなく不気味という感覚が著者の作品の持ち味なのかもしれないが。
..2016年9月に、森山未来、宮崎あおいなど、豪華キャストで映画化されている..果たして映画で化けているかどうか...
行間に漂う不気味さ..吉田修一『パレード』
なんなのだろう..この、読んでいるうちに胃の腑から静かな不気味さが滲み出してくる感覚は..
適当に交ざって、飽きたらいつでも去れるような、チャットのような表層的な空間で共同生活をする若者達。
心の内奥を晒すこともない、閉塞感漂う社会に適応した居心地の良い気怠い空間。
何も無い社会だからこそ、何も無い空間に希釈された空気として溶け交ざる。
しかしその中に、閉塞的な社会、世界からの解放を望んでいる異質な者が一人..
自己と他人、内と社会との隔絶。
ラストの展開は、彼らの無関心は、どこまで現代の病理を表出しているのだろうか。
この作品は2010年に、藤原竜也 · 貫地谷しほり · 林遣都 などのキャストで、行定勲監督が映画化している。
これがまた、原作の空気感がよく出されていて面白い。
決して多くはない、原作小説の映画化が成功したなぁと思える作品の内の一つ。
ピース又吉 『火花』
最近は相方の綾部祐二の方がニューヨーク進出の騒ぎでメディアに取り上げられているが..今更ながら又吉直樹の『火花』の感想..
己のセンスに付き従い、世間を度外視して奔放に生きる、天性の才能を持つ先輩と、その先輩を師と仰ぐ、世間を捨てきることのできない僕との、2人の芸人の揺らぐ距離感、心の機微を描いた小説。
ピース又吉は独特の雰囲気を持ちその芸風はシュールだが、正直、抉るような言葉のインパクトには欠けると思う。しかしその言葉たちには、口に入れて噛んだ瞬間にほわっと広がるような人情味のようなものがあり、それが登場人物達に魅力を与え、味わい深い物語となっている。
この小説、映像ストリーミング配信会社のNetflix(ネットフリックス)でドラマ化もされたみたいだが、出来はどうなのだろうか...
青春時代に心をえぐられた映画 『リリィ・シュシュのすべて』 を思い起こす
大人となり、社会人としてある程度安定した今、あえて、不安定な青春時代に触れて心のひだにこびりついて記憶に残っている映画を、思い起こしてみた。
まず、思いつくのはこれ
『リリィ・シュシュのすべて』
[監督] 岩井俊二 [出演] 市原隼人、蒼井優 他 2001年
こんなにも、空の色に透明感を表出した作品は他にない。ただの晴れ渡った青ではない、閉塞的で陰鬱な心象風景を表出した鈍色の青、大人になった俺にはもう見ることができない青。
この作品は、10代の頃のどうしようもない渦を巻いている感情を、吐き出せずに内側で循環させ続け苦しむ彼らに、分かりやすい救いなどは与えず、正面から抒情的に描き出す。
中盤の、ホームビデオで撮影したような沖縄の旅、決して短くはないそのシーンの意味を考えてみた。
生と死の混在、自然の摂理、不条理さ
星野(忍成修吾)がそれらに触れたことで自己を含めた社会の卑小さを認識し、自棄的な後半の行為へと駆り立てられた動機の表明だろうか。
ドビュッシーの空を突き抜けるような幻想的な曲をバッグに表現されるこの物語は、大人になった今見ても、おそらくあの頃のように感情は揺さぶられない。
だけど、押しつぶされそうな10代の頃に見たあの空の「青」は、時々心の隅から顔を出し、懐かしい寂寥感に浸らせてくれる。
自分にとっては、そんな作品。